子どもの意志を育てるということ

重ねますが、「押し付け」ほど子どもにとってストレスになることはありません。何かを押し付けられるほど、反発したくなるのが子どもです。そこに自分の「意志」が反映されないからです。

もちろん、子どもがやりたいことだけを容認して育てるのは間違いです。ただ遊びたいだけ、ただ買い物をしたいだけ、学校はキライ、勉強もキライ、テストはそもそも受けない、などということでは、将来選択できる範囲が変わってしまうものです。必要なのは社会の枠組みに対する耐性を身につけることでもあります。嫌でも毎日会社に通わなければいけないものです。そこは決して自分が居心地の良い場所とは限りません。稼がなければ、生きていけないから通うのです、働くのです。そのような耐性は、実は子どもの頃から身につけていたものでもあるのです。

社会に出ると誰も何も教えてくれなくなります。何を吸収するのか、何を学ぶのかは、まったく自分の自由になります。そのような状況で、自分がどのように生きていくのかさえも自由です。ただ、根底にあるのは「稼がなければいけない」という現実であり、仕事で何が評価されるのかということを感じ取る「センス」です。社会は残酷なものです。体型だったカリキュラムは会社にはありません。そこにあるのは実力主義かもしれません。それは働く環境によって違うのです。

子どもの頃に覚えておきたいことは、その「ルール」を最大限活かすということです。ただ押し付けられたから「やる」ということでは、社会に出てから自ら動けないのです。対象がたまたま勉強であるだけです。テストの点数を取れば良いのであれば、そのような結果を出せるような工夫をする意志を育てればいいのです。ただ、それは正攻法でなければいけません。不正はいけません。社会に出ても変わりません。営業成績や売り上げが追求されるのであれば、それを満たすための方法を考えればいいのです。それは誰も教えてはくれません。「こうすれば達する」ということがあれば、そんなことはすでに実践されているのです。

数字を積み上げるためには、細かいことからコツコツと実践する根気も必要です。「何かが大当たりすれば良い」ということだけでは成し得ないこともあります。宝くじが当たるような確率で、ビッグチャンスだけを待つような姿勢では日々の成績は上がりません。この考え方は勉強でも営業活動でも同じです。

このような「社会の厳しさ」と、「受験の厳しさ」は、実は本質は同じなのです。避けて通ろうとすれば避けることはできるかもしれません。ですが、それに対して真正面から挑んだ人と同じものは見ることができません。それはさまざまなレベルでそうなのです。そのようなことは「意志」によってのみ達せされます。将来何をすれば良いのかわからないという子どもは沢山います。だから、勉強してどうなっても良いように準備するのではないでしょうか。

詰め込みすぎることに対しての是非、カリキュラムに対しての是非、さまざまなことが社会で論じられています。それに巻き込まれる子どもは不幸です。「ゆとり教育」が目立った時期に育った人は「ゆとり世代」その言葉は現代では偏見のように論じられています。子どもに対して、将来どのような苦難も乗り越えて欲しいのであれば、「意志」を育てるべきなのです。