成績が上がるだけではいけない

人生では、その局面において大切なことが違います。いつも同じことだけを続けるわけにはいかないのが「人」というものです。私たちはそれぞれ必要な時期に必要なことを選んで注力する必要があるのです。

未就学児、つまり幼稚園に通うほどの年齢であれば、必要なことは「興味を持つこと」だったり、貪欲に探求することだったりします。大人になれば「当たり前」というようなことも、幼少期にはとてつもなく不思議に感じるものです。それらの「不思議」という気持ちを持ち続けることが、もしかしたら将来の重大な発見につながる可能性だってあるのです。それらの「不思議」を育てるのがその時の親の勤めです。自然には不思議なことが沢山あります。そして、人が作ったものにも計り知れない人類の叡智が込められているものです。それらを純粋な視点で、純粋な心で「不思議」と思う子どもの探究心は、無限のパワーを秘めています。

やがて小学校に上がると、今度は集団で生活することを学びます。学業と同時に、同輩の存在が大切なものになり、「友達」と共にさまざまなことを経験します。もしかするとこの小学校に上がるために一度目の「受験」を経験するかもしれません。それは「より良い教育」を受けるためには必要な通過点です。子どもの可能性を広げるために必要なことなのかもしれません。そんな小学生の頃は、初めて「体系的に学ぶ」ということを覚え、テストもあります。そこで自分の「成績」に触れることになるのです。

その頃の勉強はまさに生きるための素地の部分です。文字の読み書き、感じの習得、基本的な算数など、どうしても避けられないことばかりです。「九九」もこの時に覚えます。生きていく中でどうしても必要になることばかりです。親も、しっかりと子どもがそれらを習得できるようにサポートしてあげる必要があるでしょう。学校に通うとさまざまなことがあります。友達と喧嘩したり、その時流行っている話題についていけないと置いていかれたりします。その頃の人は純粋であり残酷なものですから、もしかしたら軽いイジメのようなものも起きてしまうかもしれません。自分の子が馬鹿にされないか、イジメられないか、不安を感じることになるでしょう。

そうして6年間、すくすくと成長していき、やがて中学校に上がります。

このタイミングでも受験があるかもしれません。ただ、この先の3年間までは「義務教育」です。人は学ぶ義務があるのです。思春期になると異性を意識したり、オシャレに気を使ってみたり、自立心が芽生える頃です。子どもは一時的に親の事を疎ましく思ったり、距離を置きたいと考えるようになったりするでしょう。子育てのもっとも困難な部分です。勉強はより明確になり、テストも定期的に行われるようになります。テストの点数、成績表をシビアに見始める頃でしょう。やがてどうしても避けられない「高校受験」が見え始めます。

中学の3年間で少年は青年へと成長します。まだ未成年であるとはいえ、ある程度自分の将来のことを考えたり、人間関係に悩んだり、多感な時期を過ごします。そこで得る志は一生のものになるかもしれませんし、何かに才能を発揮するかもしれません。

このように、「勉強」の影には人の「成長」があります。ただテストの点数が良いからといって、優れた人物になるわけではありません。勉強しながら、どのようなことをそこで学ぶのか、それが大切なのです。