学習塾講師は「やる気」を引き出すプロ

何かを学ぶ際にもっとも重要な要素になるのが本人の「モチベーション」です。要するに「やる気」です。人は難しいもので、ただ押し付けられるだけでは何もやる気は出ません。強制されることに対してただ「嫌悪」を感じるものです。

私たちの本質は「自由」です。自由に生きたい、誰にも、何にも縛られたくないというのは、私たちが本能的に感じることです。何かを強制されるということは、その「自由」を奪う行為として、私たちは反発を感じてしまうものなのです。自分のやりたいこと、自分が知りたいことであれば、私たちはいくらでも努力を惜しまないものです。時間が経つのも忘れて、没頭できることに対しては吸収力や理解力も早いものなのです。

子どもの頃には夢想したものです。「大人になればこんな煩わしい勉強からは開放される」と。しかし、大人になった私たちは気がついています。いつまで経っても勉強することはなくならない、ということに気がついているのです。そうです。人生とは「学ぶ」ということの連続なのです。どのような道に関わったとしても、常に学び続けるものなのです。それが「生きるためにどうしても必要」であれば、私たちは寝食を忘れてそれに没頭するのです。私たちに必要なことは「何のために学ぶのか、何のために時間を費やすのか」という納得できる「理由」です。

大人になればなるほど、「時間が惜しい」と感じるものです。時間は私たち大人にとっては「財産」です。「時は金なり」という言葉の重みは、歳を得るごとに実感が増します。私たちが生きるためにはさまざまなことに対して責任を持ってとりかかる必要があります。ただ、それらは時には同時に降り掛かってきたりするものです。ひとつひとつの事柄に対して忙殺されているうちに、いつの間にか時間が経ってしまっているということがあります。今となっては、時間を自由に使えた学生時代が懐かしく感じるものなのです。

時間を自由に使える学生時代だからこそ、「学ぶ」ことが大切なのです。それが将来役に立つことなのかどうかは別にして、私たちが通過してきた「勉強」には世の中の真理が詰まっています。新しい技術を発見するための考え方も、営業成績を予測する方法も、実は学生時代に触れる勉強にその根幹があるのです。

そのようなことをうまく子どもに説明できる「親」はいません。毎日触れ合っている、自分が育てている子どもに、世の中の真理を説くのは難しいものなのです。だから「勉強しなさい」であるとか、「成績が悪い」という目先のことしか言葉にできません。

その点、良い塾講師というものはそのような言葉は用いずに子どもをやる気にさせる「プロ」であるといってもいいでしょう。塾はただ詰め込む場ではないのです。子どもに対して「吸収させるための受け入れ体制」を準備させるプロでもあるのです。ただ教科書を読み上げるのではなく、より理解度が増すように興味を持てるように教えることができるプロとして、塾講師が存在します。もちろん、学校の先生もそれは上手かもしれません。ですが、塾講師は「別に通わなくても良い」はずの塾で教えているのです。塾がビジネスとして成り立つための根幹を担う存在なのです。