「通う」というひとつのハードル

ただ学習塾の契約をすればすべて解決するのかというと、大間違いです。一緒に塾を探して、適したものを見つけて契約し、初期費用などもすべて支払ってあとは通うだけ、という段階になっても、それで終わりではありません。

その子どもが実際に通って学ばなければいけません。親はただそれを見ていればいいわけではありません。「通わせる」という責任があるのです。自分の子どもが実際にその塾に通ってくれなければ、意味がないのです。そして、押し付ければ押し付けるほど、強制すれば強制するほど、子どもは「反発」するかもしれないのです。実際に通わせて学ばせること、その先に「成績が向上する」という「結果」があるのです。結果を得るためには、子どもが実際に通い続けるということがどうしても必要になるのです。

子どもは親とは違う人間です。自分の意志を持っています。ただ、社会を知らないだけで、自分でお金を稼ぐ厳しさや社会の厳しさを知らないだけです。私たちが感じている一日、一時間と、子どもが感じている一日、一時間の体感的な長さは違うといいます。私たちにとっては「あっという間」と感じることも、子どもにとってはとても長いことなのです。ですから、毎日一時間勉強するということがとても苦痛になってしまうかもしれません。「どうせならサボりたい、楽をしたい」ということは、子どもでなくても感じることです。大人の私たちですら感じることなのです。子どもがそう感じないわけがないのです。ですから、子どもは「サボる」ものです。

それをどう理解し、どう向き合うのかが保護者としての本分です。環境を用意したのだから、あとは本人次第というわけにはいきません。通わせる「義務」が、保護者にはあるのです。子どもとって学校以外に通う場所があるということは苦痛以外の何物でもないのです。それをどう乗り越えさせるか、どう納得させるかということが大切です。保護者の勤めです。サボる子どもを叱るだけでいいのか、それとも理由を聞いてトコトン話しあうのか、それは各家庭の方針です。その子にとって、どのように指導してあげるのがいいのか、それを知っているのは日頃触れ合っている保護者です。

くれぐれも勘違いしたくないのは、「通う塾を決めた。お金を払った」で終わらせないことです。子どもと一緒になって学力を向上させるんだという気持ちを忘れないことです。それが「育てる」ということです。たしかに思春期にもなれば親が理解できないことが沢山あるかもしれません。それでも、そんな子どもと向き合うのが保護者の責任です。誰に委託することもできません。自分たちで向き合わなければいけない問題なのです。その先にあるのが学力向上であり、希望する進路に進学できるということであり、その子が自分の道を見つけて自分の生き方を突き進むということなのです。

今一度考えてみたいのは「保護者の責任」です。ただ環境を与えるだけではいけません。それはずっと昔から変わらない、親と子どもの真剣勝負です。放任主義といえば聞こえはいいでしょう。ですが、それは放任ではなくて「放棄」なのではないでしょうか。子どもとしっかり向きあうことができない保護者が、昨今目立っています。今一度、自分と子どもの距離を見つめなおしてみましょう。