子どもの将来は親とは違う

時代は常に移り変わっていて、自分が子どもだった頃と、自分の子どもが生きている「今」はだいぶ違うものになっているのではないでしょうか。つまり、子どもが将来活きる世界も「今」とはだいぶ違ったものになっているはずです。

自分のことを基準にして物事を考えるしかないのが私たちです。「自分の頃はこうだった」とか、「自分だったらこうした」ということを基準にするしかないのが私たちです。そうしないのであれば、「みんなはどうなのだろう」と、周囲の状況を知って、それを基準にするしかないのです。いろいろ便利なものがあり、比較的「ハッキリ」しているような私たちの世界ですが、実際のところは不確定なことばかりです。1から10までハッキリしている物事の方が少なくて、実際の仕事でも悩んでしまうことが多々あるものではないでしょうか。そのような世界がずっと続いていくのですから、世の中が変わってしまうのは必然といえます。

自分をベンチマークにして物事を考えざるを得ない状況ですが、自分ではまだ社会的に自立できない子どもを育てる際、あまりそれに固執しすぎてもいけないのではないでしょうか。大切なことは「決断すべき瞬間」に、子どもが至った際に、自分で決めることができる芯の強さなのではないでしょうか。親がずっとついて生きていくわけにはいきません。いつかは子どもよりも早くこの世を去ることになるのです。少なくともその頃までには、自分の足でしっかりと立てるような人物になってほしいのではないでしょうか。

人生の中で、迷ってしまうことは沢山あります。子どもの決断に対して、どうしても納得がいかない局面もあるでしょう。ですが、そこでグッと堪える必要がある瞬間もあるはずです。その岐路のひとつが「子どもの進路」です。子どもが何を希望して、将来どうなりたいから、その進路を選んだのか。それをしっかり汲み取ってあげれば、親の希望を押し付けることもできなくなるのではないでしょうか。親である自分は学習塾に通ってしっかりと学んできた。良い学校に入って、良い給料をもらって、家族を養っている。自分は成功した。それはそれでいいのです。ですが、その「道」を子どもに押し付けるのは間違いです。

子どもは自分の道を生きるのです。保護者であるあなたとは別の人生を歩むのです。自分の足で社会に立ち、自分のチカラで生きていく。それが、子どもが嫌でも背負う責任です。そうなった際、「親のせいで不本意な道を進んできた」と言わせないことが大切なのではないでしょうか。「育ててやった」という気持ちもわかります。同様にあなたも保護者に育てられたのです。そして、自分の道を歩んでいるのです。自分が100パーセント、自分を育ててくれた人の希望どおりの道を歩んでいるかどうか、考えてみてください。自分の判断で今そこにいるのではないでしょうか。それと同じことを、あなたの子どもも行うのです。自分の生き方は自分で決めるものなのです。それを温かく見守ってあげるのも、親の勤めというものです。すべてがすべて、自分の思い通りにはいきません。それは「人」に関することが一番そうなのです。自分が「こうしてほしい」と思うことをそのまま実践する人など、仕事の部下でも少ないものなのです。