勉強だけではないということ

なんのために勉強しているのか、疑問に思ったことはないでしょうか。「将来この公式が役に立つのか」と、気になったことはないでしょうか。アナタが学ぶ中で感じた疑問は、今の子どもたちも抱くものです。

ですが、物事はそんなに短絡的ではないことも、大人になって気がついたのではないでしょうか。「後々役に立つことなどあまりない」と、感じたことはないでしょうか。日々の仕事がその日だけのものであったり、さまざまな経験をしてきたけれど、結局いつも空回りしてしまうと感じたり、人生なんてそんなものではないでしょうか。

学生時代に学業が苦手だった人は、もしかすると「成績なんて良くなくても良い」と考えたりしていないでしょうか。子どもは自由に伸び伸びと育ってくれたら良いと、考えていないでしょうか。それが正しいのか間違っているのか、答えなどは出すことができません。ただひとつ言えることは、「成績」とは「数字」であり、「どれだけ習得しているか」の指標であり、その後の進路を左右する重要なものであるということです。

極論をいえば、東大を卒業してもフリーターでいる人もいます。大学に行かないで起業して、成功する人もいます。どのように化けるのかはまったくわからないのです。人は「可能性の塊」です。さまざまな可能性を探求し続けるのが人です。ですが、間違いなく言えるのは「どこかで努力する時が必ずくる」ということです。さまざまな困難が待ち受けているのが人生であり、「役に立たない」と思っていたことがちょっとしたときに役に立つこともあるかもしれません。そのような時、「あの時努力して良かった」と感じることも多々あるものなのです。

人の優劣は成績だけでは決まりません。人の優劣は「年収」や「地位」ではありません。人間の「価値」は、人間が決めるものではないのです。自分で決めるものでもないですし、人に決められるものではないのです。私たちはみんな平等であり、それぞれの境遇でそれぞれの道を生きているのです。

そのような私たちが「学ぶ」ということは、額面以上の意味があるのです。何かに「集中」するということの大切さ、集中した際に発揮されるチカラの偉大さ、私たちはさまざまなことを「勉強」を通じて覚えていくのです。怠けることは誰でもできます。ただダラダラしていても、生きることはできるのです。ですが、そうしていては得られないことも沢山あります。何を学んで、何を活かすのかは、その時の私たちが決めることです。ただ、学生時代というものは「学ぶ」ことだけに専念できる環境です。大人になってみるとそれが以下にすばらしいことか、わかるというものでしょう。子どもの「学生時代」を周囲の大人が大切にすることで、本人も後からそれに「感謝」するときが来るかもしれません。本人が勉強はしたくないと言っているとしても、しっかり話しあって勉強してもらうのが大人の勤めであり、責任です。学習塾では、そのような「学ぶ」ということを最大限サポートするための体制とノウハウを蓄積しています。

本人のやる気を出し、やがて立派な人物に成長してもらうために、世の中の「学ぶ」をサポートする場所、それが学習塾なのです。