より進むグローバル化に対応した勉強法とは

世界がひとつになるのはまだ先のハナシかもしれません。ですが、明らかに産業に老いては、ビジネスにおいては、「国境」が薄れてきていると感じます。

私たちの身の回りのちょっとしたもの、日々食しているもの、使っているものなどは「国産」ではないものが多いのではないでしょうか。身の回りのものをすべて「国産」で済まそうと思えば、そこには相当なこだわりが必要です。「日本が豊かだから外国製のものが沢山ある」ということではないのです。私たちのその「豊かさ」、私たちの「財産」は、それらのものと引き換えに海外に流出しています。つまり、それらを私たちは「買っている」ということです。対して、海外で私たちの国で作られたものが「売っている」かどうかといえば、その割合は少ないのです。つまり、「買っている方が多い」ということになります。

それが「貿易」の全体的な考え方です。海外から買うばかりで、売る量が少なければ、貿易赤字になります。日本は長くそのような状態が続いています。買う費用や売る費用は「為替」、つまり「円を外貨に変換したり、逆に外貨を円に変換したりする価格」に依ります。ただ、それだけがすべてではありません。何よりも、世界とビジネスをした結果の「今の生活である」という自覚が、私たちは持てないでいます。一部のバイヤー、トレーダーが頑張っているおかけで、私たちはそれを気にしなくても済むのです。また、気にした所でビジネスに必要なコミュニケーションが取れなければ新たに海外に対してのビジネスに参画できないのです。

極端なハナシ、英語が使いこなせればすぐにでも英語圏の国々を相手にビジネスを行うことができます。国内でまったく売り上げが出ない、収益が見込めないビジネスも、外国に持ち込めば成立するかもしれないのです。コミュニケーション能力とは、そのような「可能性」を広げることでもあります。

長くその「可能性」を閉ざしてきた私たちは、そのようなことを思いつくこともありません。ビジネスは日々速度を上げ、範囲を広げ、私たちが国内で安穏としている間に、いつか日本の企業はすべて倒産しているかもしれません。そのようなことになってしまえば、私たちはどこでどのようにしてお金を稼いだらいいのかわかりません。

これからの世の中に必要なのは、「英語」を中心とした外国とのコミュニケーション能力です。ひとりひとりが即応できるようなチカラです。それは特別に訓練をするのではなくて、教育のなかで自然に身についていくべきものです。私たちは外国語を特別視しすぎています。国内が豊かであるから、べつに英語を話せなくても困らなかったから、今まではそれでも良かったのです。ですが、ビジネスがよりグローバルに、より速度を上げている今、私たちはひとりひとりが国際感覚を身につける必要があるのではないでしょうか。ひとりひとりが日本人として海外に対することができるようになる必要があるのではないでしょうか。それが今の私たちの弱点です。明らかに諸外国よりも劣っている点です。勤勉で、優れた技術を持つ私たちが、ただコミュニケーションが出来ないだけで遅れをとるのは惜しいのではないでしょうか。