「継続」は「チカラ」になる

何事も一晩だけ、一日だけ、努力したとしてもどうしようもないのです。日々の積み重ねことそがチカラになることが大半です。それは学業にしても、仕事にしても同じでしょう。

人の能力などというものは、実は大差ないのです。「出来る人」と「出来ない人」の差は、「能力」の差ではなく、「意志」である場合が多いのです。さまざまな意志、さまざまなモチベーションが「結果」に反映されるものなのですがその中でも大切なことは「続ける」ということです。何かに取り組む際、それを「続ける」という意志があとになってもっとも結果を左右します。

何かを「続ける」ということは簡単なことではありません。「今だけ頑張れば良い」ということにならないからです。今日行ったことは明日も行う。今後ずっと続けていくということです。それは「嫌いなこと」であれば簡単なことではありません。できれば避けたいこと、やりたくないことであればあるほど、それを「続ける」ためには「意志」が必要になるのです。その「意志」こそがすべての源であり、「出来る人」と「出来ない人」の「差」なのです。

子どものころでも、大人になっても、それは変わりません。そして、「意志」を持つか持たないかも、自由であることに変わりはありません。自分で続ける意志を持てない人は、自分以外のところにその「理由」を見いだすしかありません。「誰かに言われたからやる」という、「他責」思考に陥るのです。「親に言われた通りにやった。だけど失敗した。親の言うことが間違いだった」という安直な心理です。これが「自分本位」の思考になると、「親はこういうけれど自分はもっと上を目指したい」と、目標まで変えるほどのチカラを得ることだってできるのです。

これは仕事の局面でも同じです。「上司の言うとおりにしたら失敗した、出来ない上司だ」と考えるのか、「上司の命令は遂行しつつ、自分なりに工夫もしてみよう」と考えるのかの違いです。社会的弱者、仕事がなかったり、会社で出世できなかったり、生活するだけに十分な収入が得られない人の「言い分」は、前者であることが多いです。「社会が悪い。周りが悪い。環境が整っていない。政府はなにをやっているんだ、自分は弱者だ」と考えてしまっているのです。それは「そうではない人」に対して「環境に救われている」と考えたりするものなのです。

すべてが「環境」に左右されるのであれば、日本は資本主義の国ではありません。コネがある、コネがない。学歴がある、学歴がない。人とうまく付き合える、人が苦手。それぞれ環境ではありません。自分で切り開こうと思えば、いくらでもリカバリーできる要素なのです。それらの根幹にあるのは人の「意志」です。考えひとつ、気持ちひとつで、人はどのようなチカラも得ることができるはずなのです。それに気が付かない人は、人のせいにするのです。「自分のせいではない」と、自分は「ついていない」と嘆くのです。実は自分の考えひとつで打開できることの方が多いのに、です。

それは「学生」である頃から始まっています。「成績をあげたいが、自分は出来損ないだ」などと考えていれば当然結果もついてきません。子どもの「マインド」はどうなのか、探ってみるのもいいのではないでしょうか。