テストの点数は何の指標なのか

勉強した内容の理解度は定期的に行われる「テスト」の結果でわかるものです。それが積み重なったものが「成績」であり、通知表として両親が知ることになります。

学校の通知表はただ勉強の指標ではありません。本人の学ぶ態度、意欲、姿勢など、「学び方」を統合的に判断したものです。それらは生徒本人の「人としての点数」ではありません。あくまでも勉学に対しての指標であり、優劣を定めるものではありません。テストの点数も、それまで学校で学んできたことに対する理解度の確認であり、やがて来るはずの「受験」での弱点を見いだすためのものでもあります。

「数字」に縛られたくないというのが私たちのホンネだったかもしれません。ですが、考えてみると大人になっても「数字」はついて回るものです。それは仕事での「給与」、「査定」、そしてそれを左右する「売り上げ」など、結局私たちは一生数字について回られる運命なのです。その導入段階としての「通知表」、「テストの点数」があるのです。私たちはずっと「数字」に一喜一憂しながら生きているのです。

テストの点数は、単純にその物事、その科目をどれだけ理解しているか、覚えているかの指標でしかありません。大切なのはその指標を得たあとに「何をするか」ということです。「結果」に触れた際、自分に対してどう思い、どう克服するのかということで、その後の受験が左右されます。苦手である部分は復習しておくことで、後から困らないようにすることができるのです。学生の頃は「テストが終わればそれで良い」と思っていたかもしれません。「受験などはまだ先の話しだ」と、考えていたかもしれません。ですが、時間は連続していて、そのような毎日を繰り返すことで確実に受験は一歩ずつ迫っているのです。わからないところはトコトン理解しておくことで、後が楽になるのです。

実は、大人の私たちが感じる時間の速さと、10代の頃に感じる時間の速さは違うものであるようです。それは長く生きるほど短く感じるものであるようです。自分が生きてきた時間に対して、どれだけの長さを「一日」が占めているのかということで、時間の感じ方が違うのです。大人になれば「一年があっという間」とよく言うものですが、それは嘘ではなく、本当に感じていることなのです。ですから私たち大人が感じるよりも、10代の子どもたちが感じる時間の長さの方が長いのです。私たちにとっては「受験はすぐ来る」と考えていても、子どもにとっては「まだ先」なのでしょう。

だからこそ、子どもに対してそのような「気付き」を与える責任が私たち大人にはあります。それは「良い点数を取ることが良い」のではなく、「知っておいて損はない」というスタンスです。将来どのようにして生きるのかわからない段階では、あらゆることを貪欲に学んでおくことにこしたことはないのです。あとから後悔するのでなく、「今だからできること」をやれる環境と意欲を与えるのが、私たちの責任です。どのような道に進んでも、本人が後悔しないようにするための「環境」を与えることが大切なのです。

テストの点数はただの成績ではありません。「まだできることがあるはず」という、カルテのようなものなのです。